2004年2月28日3時54分。
 
エンジェル日記の主人公だった赤ちゃんが、ついに産まれました。
名前は真優美と言います。
これからは「秘密の部屋」改め「まゆみの部屋」をよろしくね!
妊娠中の経過はエンジェル日記をごらんください。
 
<誕生までの経過>
 
前の晩から入院して、陣痛促進剤の薬を飲みましたが、
陣痛がいっこうに強まらず、
ついに2月28日9時半に誘発促進剤と溶連菌を殺す抗生剤点滴を始め、
徐々に点滴を高めながら陣痛を強めました。
そして風船と呼ばれる器具を入れて子宮口を広げました。
結果、午前中に子宮口が6cmに広がり、2時半には人工破水をしました。
そしたら猛烈な陣痛に襲われ、赤ちゃんが下がってきて、3時半に
陣痛室から分娩台にあがるやいなや、会陰切開する間もなく、
すっぽ〜んと産まれました。
今回もゆりこのときのようにつまっていた大便が出たような快感でした。
胎盤がなかなか出なくて痛かったけれど、出てみたら大きかった。
産後は急速に子宮が収縮して3日ほどのたうちまわり、
真優美も産後の疲れがあって2日ほどこんこんと眠ってばかりでした。
パパも陣痛から立会いで疲れました。
でも、これからがあらたなはじまりです。幸多かれ!
尚、優理子のときは産院の窓から外をみたらむくげの白い花が
咲いていましたが、真優美がうまれたときに外をみたら、桃のピンクの花が
咲いていました。
 
<誕生!>
 
体重2960g
身長48cm
胎盤956g               <お姉ちゃん、ゆりこと>    
 
  
 
<生後7日目>
 
<生後1ヶ月:2004年2月28日〜4月6日>
 
退院してわずか2日にして産院の小児科にみてもらいましたが、
心臓に雑音があるので要経過観察といわれました。
おもわず、早く産んでしまった事に申し訳なさを感じて泣きました。
生後20日からはママと優理子に風邪をうつされ、38度の熱が続き、
大学病院に何度もタクシーで通いました。
バス電車ででまた変な病気うつされたら困ると思って。
一時は肺炎併発して死んじゃうのではないかと
夜ずっと泣きながら抱っこしていました。
風邪が治ったと思ったら、今度は玄関先のコンクリートに抱っこ紐から落ちて頭をおくるみごと打ってしまいました。
ママの1ヶ月の疲れの結果だったのでしょう。
一瞬の気のゆるみでした。
もちろん即、脳神経外科に飛び込んで、CTスキャン、レントゲンをとりましたが、内出血はみられず。
骨折したとしても放置してくっつくのを待つしかないそうです。
内出血で血栓ができるほうが問題。
それから1週間はずっと左右の手足がしびれてないか、吐かないかずっとみていて、またごめんごめんといって泣きました。
それまで使っていた抱っこ紐は危険なので、急遽、スリングというゆりかご型のだっこ紐に替えました。
両手が使えるのでなんと楽か!
わけあって、身内に頼れず、退院してから1ヶ月間だけベビーシッターさんにきてもらっていましたが、
お金がばかにならないので、4月からは優理子の保育園送迎、家事、育児を全部ママがやることになっていたのです。
だから、両手があいて荷物がもてるというのはとてもありがたいのです。
この1ヶ月、お姉ちゃんの優理子はパパママをとられるのではないかという寂しい思いをしながらも、真優美を可愛がってくれ、首ねっこをもちあげて抱っこしたり、哺乳ビンを真優美の口につっこんだりして
くれました。本当にいいおねえちゃんです。
その分、毎日のようにパパとママは優理子の寂しさをどう埋めてあげたら良いか、悩み、夫婦喧嘩し、試行錯誤しましたけど。
この問題はこれからもずっと続くのでしょう。
さて、1ヶ月検診(4月4日)を迎えたとき、またまたショックをうけました。
体重が3450gにしか増えていなかったのです。
一般的に1kg増えるものなのに・・・。
風邪ひいていたし、毎日のようにげぼげぼ吐くし、仕方ないとは思ってましたが、産院で出会ったほかの丸々太った1ヶ月児をみると悲しかったです。
当然ながら、産院の小児科の先生にまた3週間後、体重をはからせてくださいと言われました。
心臓の雑音もまだあるっていうし・・・。
外はだんだん日がのびて、桜が満開だというのに、いまひとつ喜べない1ヶ月でした。
でも、真優美のじっと見る目、元気な泣き声、満足して眠る姿、ちっちゃな手でさわられたり、握り締められると、またがんばろうと思うのです。

<2〜3ヶ月:2004年4月6日〜6月8日>

4月9日、保健婦さんがやってきました。日頃気になっていたミルクの飲みの悪さを訴えました。
そしたら、
「きっと舌癒着症のせいでしょう、ちなみに小児科の先生は認めないと思うけど」といって、
「私、ホメオスタティスを学んでいるのよ」というなり、
バッグからがさごそ水のような液体を出して、真優美に飲ませたのです。
だから何なの?変化ないようにみえます。
そして、体重をはかりました。3900g。あいかわらずちびなのね。は〜。
保健婦さんは、帰り際にいいました。
「今日のところは、第二子だから楽だと思ったのにね〜」
すごく頭に来たのはいうまでもありません。
しかし、そんな保健婦さんのはいた言葉の中でも、舌のお話は気になってしかたがありませんでした。
ママ自身、あまりにも言葉を発するのが遅かったらしく、幼少時に舌の筋を切った経験があったからです。
インターネットで舌癒着症の詳細をみてみたのですが、どうやら、舌の形状が変形しているため、ミルクがうまく飲めず、発声が遅れ、そのために人との会話がおっくうな子供に育つというのです。
近くで、その舌の手術をしているというお医者さんに電話したところ、つっけんどんな口調で言われたのです。
「2ヶ月ぐらいに手術うけないと手遅れです。手術はその日の午前に診察した結果で午後に
やります。予約なさいますか?」
え〜。そんな急に決めろと言われても・・・。やめておきます、といって、電話切りました。
なんか納得いかず、でも、いいかげん、ミルクを吐くのをやめてほしかったため、
翌日、かかりつけの小児科のお医者さんに行きました。
そして、保健婦さんに舌癒着症だろうといわれたこと、気管支炎の可能性があるとも言われたことを話しました。
すると、お医者さんはけたけたと笑って、真優美の舌をみながら、
「この子は100%舌癒着症ではないですよ。困ったな、その保健婦さん、また吹聴してるの?
舌の筋切ったところで何も変化ありませんよ。それでも、北海道みたいに地域性があって何がなんでも切ってください、といわれるところもありますけどね。」
「ミルクの飲みについては、確かに気にはなりますが、
一日の総量がだいたい(現在の体重x100+50)mlを満たしていればいいんですよ。
50は成長するために必要な数字。」
そして、気管支炎を治す薬を出してくれたのでした。
はっとしました。親の安心=自己満足の為に娘に痛い思いをさせて舌を切るところだった・・・。
一方、ミルクの飲みが改善するかもしれない手段を講じないで見送るのは何ともつらいものがありました。
しかし、真由美は必ず吐かないようになる、たとえ、他の子よりも成長が遅くても成長しているならそれは真優美のペースなのだから受け入れよう、と思ったのでした。
実際、小児科の先生が言うように、真優美は吐いていたものの、
一日の総量は4kg x 100 + 50 =450ml に達していたのですから。
それから、真優美の吐きと咳はずっと続きましたが、がんばってミルクを飲んでくれました。
落ち着いた頃を見計らい、4月24日、念願のお宮参りをしました。
といっても、優理子の年2回しかない保育園の懇談会とぶつかってしまったので、写真をとっておしまいでしたが。
妊娠後、ママはストレス過多でまたまた太ってしまっていました。
だから、高い出費に目をつぶって、ピンクのツーピースを買ってこの日にのぞみました。
パパを説得するのが大変でした。
後日、写真の出来映えをみましたが、優理子と真優美を一緒に撮った写真がいちばんかわいかったです。
(スキャナが壊れっぱなしなのでお見せできないのが残念。)
真優美は白いドレスに白い花輪を頭につけて写真を撮りましたが、終始泣きませんでした。
優理子は風邪で鼻水たらして鼻の下が赤くなっていました。
まさか、それがアトピー皮膚炎のはじまりだとは思いませんでした。
後日、腕や顔に赤いざらざらしたものができるようになり、それから毎日皮膚科でもらった塗り薬と飲み薬がかかせなくなりました。
もちろん、それまで以上に家の中はきれいにし、優理子も清潔にするようにしました。
しかし、なかなか治らないです。
真優美もアトピーの可能性があるのかなと気にしています。
尚、優理子は真優美にかかわることが主体になっているママに甘えられないのを知ったのかいっそうパパに甘えるようになりました。
ママが夕方保育園に迎えに行くときは自分で靴をはき、歩いて帰るのに、朝パパが保育園に連れて行くときはパパに靴をはかせてもらい、抱っこしてもらって行きます。
たまにはパパと一緒に歩いて欲しいと思うのはかわいそうでしょうか?
まあ、トイレは自分で行っておしっこうんちしてふいて流して手を洗っておねえさんパンツ(つまり、おむつでないパンツ)をはいていられるようになったのですから、よしとしましょうか。
それでも土日はオムツパンツで一日中トイレに行かないのはなぜ?
真優美を保育園に連れて行き、まわりの友達が寄ってくると、優理子は自慢げに
「優理子ちゃんの妹なんだよ!」と言います。
そのわりには、かげでこそこそと真優美を蹴ったり、ふとんで覆ったりするのですから困り物です。
発見するたびに、「自分がされると嫌なことを人にやってはいけないのよ」と言っていますが、
その意味がわかるようになるのはいつのことでしょう。
確かに、絵本を読んでやったり、お話を聞かせて寝かせつけることがなかなかできなくて、
寂しい思いをさせているな、と思います。
せめてもと思い、なるべく優理子を迎えに行くときは真優美を家に寝かせつけて置いていきます。
保育園から家までのわずかな時間だけは優理子はママをひとりじめにできるのです。
そして、夕飯を食べるときも真優美が泣いてもほったらかしにして、
優理子が全部食べ終わるのを待ちます。
それを知ってか、優理子はなかなか家に帰ろうとしないし、夕飯もさっさと食べません。
姉妹を育てるというのはバランスがとりにくくて大変です。
さて、5月の連休があけてから、真優美は下痢気味になりました。
下痢とはいえ、顔色がかわるでもなく、ミルクもがんばって飲むので、医者に連れて行きませんでした。
しかし、事態は急変しました。
5月15日、血便と高熱が出たのです。
ミルクの飲みも悪くなりました。
慌てて夜間診療所に行きましたが、血便は出っ放しです。
翌朝、前述のかかりつけのお医者さんに行くと「すぐさま病院に行った方がいい」と言われ、検査ができる、最寄の大病院を紹介してもらいました。
担当の女医さんは、紹介状をみるなり、ぽつりと、
「え、男の先生だったの?」
「は?ええそうですよ。かかりつけのお医者さんは30代の若い男性です」
「電話の声が女性みたいでした」
非常事態なのになんか気が抜けてしまいました。
その直後に、腸重積の疑いがある、といわれ、また緊張するさなか、
レントゲン、CTスキャン、エコー、血液検査をやり、
空圧で腸重積の患部を治す術を施したのでした。
いうまでもなく、終始、真優美は大声で泣き叫んでました。
結果、腸重積はなく、ばい菌感染の可能性もなさそうなので、
ウイルス性急性胃腸炎と診断されました。
ウイルスで荒れた胃腸の壁がはがれおちて出血したのだそうです。
ウイルスによるものなので、あとは対処療法しかありません。
自力で治すしかないのです。
女医さんからは、
「荒れた胃壁を治し、ミルクを分解する酵素の膜をその上につくりなおすには
ミルクの濃さや回数を加減しながらで2ヶ月かかるでしょう」
といわれました。
そして、「まずはミルクの飲みを安定させるために入院しましょう」といわれ、
即ママと真優美は入院となったのでした。
真優美は点滴につながれ、ミルクの濃さも回数も減らされ、ママは添い寝以外は簡易ベッドで寝るということになり、慣れぬことでママは疲れ果て、真優美はちょっとでもママが離れると大泣きです。
まだ、夜中の授乳もありました。
ミルクの濃さを管理するため、いちいち看護婦さんにつくってもらうのが嫌でした。
しかし、そのかいあってか、真優美のミルクの飲みも回復し、20日に退院となりました。
もっとも下痢が治るにはまだまだ時間がかかるので、整腸剤をやまほどもらいました。
無料医療証のおかげで、入院費はベッド代、ミルク代、衣服代だけで9650円ですみました。
そのかわり、ママの食費、パパの弁当のかわりの食費がかさんでしまいました。
5日目からもらえるという医療保険をもらおうとしたところ、一日5000円です、と保険会社にいわれ、一方それをもらうのに必要な診断書代が5000円と病院にいわれ、困ってしまいました。
だって、入院は5日間だったからです。
どうにかなりませんか、と保険会社に言ったら、
診断書代領収書のコピーがあれば診断書代もお支払いします、といわれました。
保険支払いが一万円以下の場合に適用される処遇なのでした。
そこで、病院にいってかえってくるまでの交通費も出してもらえますか?と聞いたら
それはだめです、と保険会社に言われました。
けちくさい話ですが、交通費は500円かかりました。
診断書郵送に80円切手を病院に渡しました。
だから、診断書代がちゃらになっても、正味4420円しかもらえないのです。
9650円−4420円=5230円
これが今回の正味の入院費となります。
保険って、全部カバーしてくれないのかしらん。
退院翌日、ママはずっと気にしていながらなかなかいけなかった産院の小児科に
真優美を連れて行きました。
そう、心臓の雑音がまだあるかチェックするため、体重をはかりにいったのです。
そしたら、4520gでした。一日17gしか成長していません。
ちょっとがっくりしましたが、助産婦さんは
「小さくてもマイペースで成長しているのですから心配しなくていいと思いますよ。
ましてや、昨日まで下痢で入院していたのですから仕方ないですよ。」
と言ってくれました。
そして、小児科の先生も、
「心臓の雑音はほとんどもう聞えないのでもう経過観察必要ないよ」
と言ったので、ほっとしました。
ただ、
「退院してすぐに連れてきたの?!(もっと安静にしてからにすればよかったのに・・・)」
と真優美をとりあげてくれた助産婦さんにあきられてしまいました。
生後1ヶ月の間に高熱を出しても、ママは外出先で真優美をころんと寝かせて昼飯食べていたこともあったので、あきられてもしかたありません。
ひどいママですね・・・・。
真優美は丁寧、安静からほど遠い世界にいます。
おねえちゃんのおせっかいもあるし。
そのおかげか、生来の物なのか、少々手荒い扱いを受けても真優美は泣かないし、夫婦喧嘩して大声でどなっていても平然と寝ています。
優理子の方がよっぽど泣くし、けんかしないで、と不安そうに言います。
そのかわり、周りが静か過ぎると真優美は不安そうに泣きます。
6月にはいってからは、うんぎ〜と声をたてて笑うようになったのですが、
だいたい、パパママ優理子がそろっていて、半径60cm以内にいるとずっとご機嫌です。
ソファに座らせて見えるようにしてあげると尚更うれしそうです。
優理子が歌をうたって手荒に真優美の手足を動かすときの方がかえって笑います。
おむつを取り替えるときも満面の笑みです。気持ちよいのでしょう。
このごろは、泣く、怒る、笑う、と感情の表し方が多様になってきたと感じます。
いつのまにか、異常な咳と吐くことはなくなっていました。
下痢もだいぶ影をひそめました。
成長していく中でひとつひとつ解決していった二ヵ月でした。
ふりかえって優理子の育児日記を読んで見たら、
優理子のときも吐いていることで不安になっていたママの姿が描かれていました。
歴史はくりかえす?いえ、つくづく、ママは過去の経験をものにしていないなと思いました。
目下のママの悩みは体重がおちないこと、恥骨と腰がまだ痛むこと、咳き込むと尿失禁してしまうこと。
これらを改善しないと、お仕事復帰できないわけで、優理子の保育園存続の問題がおきるのです。
優理子は保育園大好きだし、実際とてもいい環境。
真優美にも同じ環境を与えたいと思うこの頃です。
あと半年の間になんとかしなくては・・・・。
うう頭痛い。問題は次から次へと起こるのね。

<2004年6月以降>

ブログ形式のありちゃん一家の日記でまゆみちゃんの成長を適宜書いているので、
ここには、そこからまとめて転記したものを多少アレンジして載せようと思う。
というのも、ブログも容量パンクすると保存してくれないから。
バックアップがわりに・・・。

<3〜6ヶ月 2004年6月〜9月>

「まゆみの部屋」をどうするか迷っているうちに数ヶ月たってしまった。
6月以降、まゆみちゃんはめざましい成長をとげている。
確かに6月23日の3ヶ月健診では5180gで医者にちっこいね〜と言われたし、
かかりつけのお医者さんに三種混合の予防接種第一回目でついでに計ったときも
8月7日、つまり、5ヶ月ちょっとだというのに5560gだった。
ミルクの量も9月にはいっても一回の量はまちまちで一日の総量は750〜800ML。
でも〜、それ以外はちゃんと発達している。のんびりやだけど。
まず、6月中旬から寝返りが半分できるようになった。
あおむけにしても今ではころんところがって
はらばいになる。
でもその逆はいまだにできない。
9月に入ってからはらばいの状態から少し脱皮して、両足をどうにか動かして、
足を中心にして円を描くようにぐるりと移動をするようになった。
一方、物に対する興味だが、7月になっても興味はママの面白い顔だけで、
ぬいぐるみ、紙、ティッシュを与えても知らん振り。
それどころか、パパやゆりこと目をあわせようとしない。
唯一ママだけ。
ちょっとこの点は気になるところなのだが、
物に興味を示さないのはなぜだろうと考えた。
どうやら、いつも口につっこんでいる指がまゆみちゃんにとっての
最高のおもちゃであるようなのだ。

むむむ、これはまずい。
ということで、ことあるごとに、その指を抜き取って
ママの顔を触らせたりするようにした。
その結果、9月にはいってようやく、ママの顔をがっしりとつかもうとするようになった。
で、こんどは紙をくちゃくちゃにしたものを渡してみた。
すると、くちゃくちゃの音が気に入ったようでつかんでなめようとする。
がらがらの音もお気に入りでなめようとする。
お風呂にはいると黄色のあひるさんのおもちゃをつかんでなめようとする。
ママが狂喜したのはいうまでもない。
また、まゆみちゃんは7月ごろから発声練習をはじめた。
あ〜きゅ〜!あうぶ〜!きゃ〜!
うんうん、あっそうなの、と相槌をうってやるともっと雄たけびをあげる。
30分ぐらいそうやって疲れるのかが〜と寝る。
泣いているときは、?とは思うものの、かすかに
「んまあまま〜〜〜!!」
と呼んでいる。
パパは空耳だというが。
食べ物は前述の通り、相変わらず小食のまゆみちゃん。
8月から開始して、ミルクのかわりになんどかおかゆを口に運んでみたがべ〜〜〜。
かぼちゃのうらごしなんて顔をしかめつらにしてべ〜〜〜〜。
どうもまだ飲み込み方がわからないらしい。
根気よく続けて4度目の正直、9月に入ってようやく
4さじほど食べられるようになった。
でも、それでは栄養が足りるとは到底思えないので
かかりつけのお医者さんの言葉どおり、
10ヶ月まではミルクを基本において離乳食は味慣らしにするしかないと
腹をくくった。
なぜか、しじみのみそしるはうまそうに身をのりだして催促するんだけど、
単におかゆやかぼちゃは好みでなかったということか?
なお、この数ヶ月間でなった病気はガンジタ炎だった。
おしりかぶれからかびがはいっておこるもの。
いつもの夏よりもじめじめと湿度の高い夏だったからであろう。
なんどもおしりを洗って薬ぬってひんぱんにおむつを替えた。
完治するのに3週間かかった。

とまあ、大きな出来事もなく、まゆみちゃんなりの成長をとげた
3ヶ月間だったと思う。
これからもがんばれ!ま・ゆ・み!
ちなみに、ゆりこちゃんとの関係だが良好である。
ゆりこちゃんがまゆみちゃん!といってだっこするとちょっとけげんそうな顔をするが、
ゆりこちゃんがパパやママと遊んでいるのを一生懸命頭を動かして追って、
みえるときゃっきゃと声をたててよろこぶ。
これがまた、ゆりこちゃんを喜ばすのか、ゆりこちゃんはまゆみちゃんをかわいがってくれる。
お風呂にいくときも危なっかしいがゆりこちゃんがまゆみちゃんを脱がせて抱っこして風呂場に行く。
でも、夜になると、ゆりこちゃんもまゆみちゃんもママじゃないとだめ〜。
ゆりこちゃんは髪の毛をのばしているので、
髪をすいてもらうのが目下お気に入りで
すいてもらおうとして、隣に寝ようとする。
パパはすいてくれないので嫌なのだ。
まゆみちゃんはパパのかたい胸よりママのぽよぽよのおなかがいいのか、
これまた隣にいないと不安になる。
しばしとりあいごっこをしてから、
ママは窮屈にふたりにはさまれて片手でまゆみちゃんをとんとんし、
片手でゆりこの髪をすく。
疲れるがふたりの寝顔をみると気持ちがやわらぐ。
あっというまに大人になっちゃうんだろうなと思うとすこしさびしいが
まだまだふたりとも手がかかるのもこれまた面倒でどっちつかずのママである。
<2004年8月28日>まゆみちゃんの笑顔
 
今日でヶ月になったまゆみちゃん。
6kgでミルクもやっと一回の量が160MLになったおちびさん。
順調に寝返りの練習し、哺乳瓶をつかんで、
乳首といっしょに指をつっこんでミルクを飲むようになった。
そんなまゆみちゃんがキャーキャー笑うときというのは3パターンある。
@おしりをきれいにしてあげるとき
Aばんざーいとおなかぽんぽこりんの体操をするとき
Bママが話しかけるとき
共通点はやっぱりママ。
ママがお相手してあげるときがいちばんうれしいまゆみちゃん。
ちなみに、まゆみちゃんが機嫌が悪いか不安なときは口につっこむ指の数が増える。
すごいときは4本。泣いても無駄だから、指をちゅーちゅー吸うことで我慢しているらしい。
泣くときはもうどうしようもなくなったとき。
当然、ママがお相手しているときは、ミルクを飲んでいるとき以外は、指はママをがっしりとつかんでいる。
もっとお相手してあげないといけないね〜。  

 
番外編:ゆりこちゃんの成長(2004年6〜9月
 
ゆりこちゃんの最近の成長はなんといってもおむつ脱却の道をつきすすんでることだろう。
4歳になったいま、寝る以外はずっとおねえさんパンツで過ごせるようになった。
自分から、もれちゃう、もれちゃう、といいながらトイレにかけこむようになった。
ママがつきそわなくてもトイレで始末できるようになった。
これはすごいことなのである。つい数ヶ月前までは、あかちゃんがえりもあったのか、パンツのなかにうんちをしてもおしえてくれない、
おもらしはそこらじゅうだったのである。
4歳になったからおねえさんになった、という感覚と、ママがしからないように
がんばったおかげか?
あと、お絵かきも上手で、先日は家族の絵をかいてくれた。
(後日、スキャナでとりこんでおみせします)
家族思いの子だなあと感じた。実際、しょっちゅう、ぱぱもままもまゆみちゃんもだああいすき!と言う。
ごはんはあいかわらず偏食気味だし、うちではたべさせて〜とおねだりするが、それでも以前に比べれば
ずいぶんといろんなものをたくさん食べるようになったと感じる。
9月にはいってお気に入りの朝ごはんは目玉焼きとロースハムにとろけるチーズをのせたパンである。
好きになるとず〜〜っと食べ続ける。
でも、肝心のめだまの黄身を食べないのはなぜか??
とろけるチーズが好きになったこともあって、ピザも解禁。
あと、肉だけのやきそばも食べるようになった。(それって食べれるようになったうちにはいらないか・・・)
お手伝いは、おかたづけ、テーブルのふき掃除、にんじんの皮むき、卵割りが上手にできるようになった。
パジャマの一番上のボタンはめもできなくてすぐにやって〜と言っていたが、
ここは意を決して、「できるから何度でもやってごらん、みててあげるから」といったら、
5度目にできて、満足げ。なんどもうれしそうに「ママ、ありがとう!」と連発していた。
やはり、人生、なんでも親がさきまわりしないで、失敗を重ねて達成する気持ちを大事にしたほうがいいんだなと思ったママ。
歩くのはまだ苦手で朝はあいかわらずパパと押し問答して、抱っこしてもらって保育園に行くことが多いし、保育園でも
友達にひっぱられて歩いているようだ。(遊んでいるときは走り回るのになぜだあ?)
それでも、ここでも、「もうゆりこちゃんはおねえさんだから」パワーを発揮して、歩くようになった。
ひらがなも数も保育園のおかげか、興味をしめして、かるたあそびみたいなことをときどきやっている。
メジャーや時計がお気に入りで、
「パパの大きさは170センチです」
「いま9時だからはやくしようよ」
というようになった。
もっとも、それらが読めるわけでなく、パパやママのことばをまねているだけなのだが。
とまあ、いいことづくめのようだが、9月時点でまだこまっていることが、ふたつある。
ひとつはあいかわらず寝るのが遅い、寝起きが非常に悪くてご機嫌をなおすのがたいへん。
もうこれは、おばけさまの力をかりるしかなく、
「ゆりこちゃん、はやくねないとおばけさんがおむかえにくるよ。パパやママにあえないところに連れて行っちゃうよ
どうする??」
ということにしている。
もちろん、こうかてきめん。
でも、のちのちまでおばけ嫌いになったらどうしよう・・・。
もうひとつの問題は、すっぽんぽ〜んでおうちのなかをあるきまわること。
これはたぶんにパパの影響である。
真夏あつくるしかったパパはしょっちゅう眠っている最中に
無意識のうちにパンツを脱いですっぽんぽーんで寝ていることがあったから。
とうぜん、ママは「それでもあんたはふたりの娘の親か〜〜〜!」と怒った。
ゆりこちゃんはおもしろげに、パパのあそこをひっぱって遊ぶし。
ゆりこちゃんには性教育のいっかんとして言いました。
「すっぽんぽーんでいると、おまたからばい菌がはいるんだよ。すんごくいた〜いんだよ。ごはんも食べれないよ。
どうする??」
これも、こうかてきめん。
「ゆりこちゃん、パンツはく〜」と言ってあわててパンツをはく。
だから、夜遅くまですっぽんぽーんでねないであるきまわっているときは
すかさずママは電話する。
「あ、ばいきんまんさんとおばけさんですか?ええ、そうなんですよ、
またやっています。お迎えにきてくれます?そうですね、30分以内に。」
とうぜん、30分後にはゆりこちゃんはパンツとパジャマをきて夢の中。
これでいいのかどうかわからないけれど、今はそうしている。
ゆりこちゃんも波があるものの確実におとなになっている。
ゆりこちゃんもが・ん・ば・れ!
 
2007年4月20

この4月から、保育園のキリン組さん。
幼稚園でいうところの年少さんです。
3月までは朝のおしたくは全部パパにまかせっきりで保育園までベビーカーで通っていたのに
キリン組さんになった途端、保育園まで歩いて通うわ、保育園での朝のおしたくも全部
自分で!自分で!
時の経つのは早いなあ。
嬉しくもあり、寂しくもある。
そんな真優美が子供の城に行ったときの写真です。